2014年3月19日水曜日
思考と行動と結果
こんにちは。
今回は「思考と行動と結果」です。
「思考は具現化する」はよく耳にする言葉です。
自己啓発関連の書物などで見かけます。
自己啓発関連というわけではありませんが、
人が関わる物事は、「思考-行動-結果」という
パターンで考えるとわかりやすいですね。
人が思考し(思考には”宣言”や”計画”も含まれますが)、
その思考に基づいて行動し、その行動によって結果が出る、
という流れです。
これはすべてのことに当てはまります。
まずは、思考があります。思い、想いと言ってもよいかもしれません。
ああしたいこうしたい、ああなりたいこうなりたい等です。
人はまず自分の頭で考える”思考”があります。
”思考は具現化する”ですが、ある意味それは事実だと思います。
上のパターンで見ると、思考なくして結果にはつながらないわけですから。
もし思考なしで結果があるとすれば、それは本当に偶然の産物と
言えるでしょう。たまたま入ったお店で、十万人めの来客になり
十万円当たったというようなものです。
しかしこれは自分でコントロールできませんし、期待もできません。
”たまたま”だからです。
ですから、最初の”思考”は重要です。
しかし、ただ思考があるだけでは具現化しません。
ああなりたい、こうなりたいと思っただけでは、
そうならないことは、誰もが身にしみて感じていることですね。
思考の部分で、宣言と計画を含むと書きましたが、これも重要です。
ああなりたい、こうなりたいには、宣言も計画も含まれていません。
宣言(宣誓と言ってもいいですが)は、
「私は○○になる!」とか「私は○○をやる!」というように、
「自分で決める」ということです。
高校野球の甲子園大会を見るとわかりますが、開会の際に
「選手宣誓」というのがありますよね。
「われわれはスポーツマンシップに則り、
正々堂々と戦うことを誓います!」というあれです。
まず宣言をして、その宣言通りにやるという意味です。
宣言をすると後で変えられないという考えを持つ人も
いるかもしれませんが、宣言したからといっても
後で変更してもいいのです。
変更したい場合は、後で宣言しなおせばいいわけです。
まず「宣言」ということです。
次に「計画」が必要です。
いかに宣言をしても、”具体的に何をやればよいか”がわかりません。
それを明確にするのが「計画」です。
宣言をした内容が目的ですから、目的ははっきりしています。
目的地の決まった旅ということです。
どのコースをどのくらいの時間をかけて旅するかを、
具体的に(これも自分の頭で)考えるのが計画の部分です。
旅の場合、どこからスタートするかも重要です。
東京に行こうという場合でも、北海道発なのか九州発なのかで、
途中の経路はまったく異なってきます。
自分の現状を認識することが、出発点ということです。
現状がわからないのに、途中のルートも何もありません。
まず自分の現状を把握して、具体的な行動の計画を立てるということですね。
そして行動すれば、何らかの「結果」が出てきます。
その結果を見て計画を修正したりしながら、
目的地を目指してさらに行動するということを繰り返して、
最終的に目的地にたどり着く(結果が出る)ということになります。
なかなか目的地にたどり着かない(結果が出ない)状況が
続いている場合は、出発時点の現状認識が間違っているか、
計画が間違っているか、ということもありますが、
”実はまだまだ道半ばにも達していない”ということも多いですね。
まだ道半ばなのに、目的地に着かないため
投げ出してしまうということもよく起こります。
これについては、「できるまでやればできる。」とか
「できるまでやらないからできない。」という表現を私は使っています。
その意味は「できるようになるまで続けないからできない。」
ということで、”できるまで続ける”ことが肝心だという意味です。
時間のスパンは人によって違います。
数週間や数ヶ月で結果の出る人、数年かかる人、
10年以上かかる人などいろいろありますが、
本当にやろうと決めたら、”できるようになるまでやれば”、
その結果 ”できるようになっている”というわけです。
簡単に言えば、”あきらめずに続けること” となります。
今回の話しは、
(宣言と計画を含む)思考 → 行動 → 結果
というパターンの話しでした。
それではまた。
久留米工業大学
建築・設備工学科
池鯉鮒
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自己紹介や報告書などの文章が書けない。文章が膨らまない。
筆が進まないという人に、とっておきの文章作成法です。
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2014年2月18日火曜日
文章を書きたがる人・書きたがらない人
こんにちは、池鯉鮒です。
今回は、「文章を書きたがる人・書きたがらない人」です。
以前のブログで書いた「二種類の人々」に含まれそうな内容です。
さて、文章を書きたがる人と書きたがらない人、はっきりと明確に分けられる
ということではありませんが、そのような傾向に分かれると
考えてもらえばよいと思います。
まず”文章を書きたがる人”の特徴ですが、長文を書く傾向がありますね。
メールなどを書く際にやたらと長文を書く人いませんか?
長文を書く人は、文章を書いているうちにだんだんと”乗って”きて、
内容がさらに展開していくという傾向があります。
このタイプの人は、普通の文章ならよいですが、
クレームや誹謗中傷のような状況になってきた場合にはやっかいです。
ブログなどで炎上した場合には、次から次へとクレーム文章が
あふれ出てきて、内容がどんどんエスカレートしていってしまいます。
怒りの感情に任せて書いているうちに、文章が”乗ってくる”と最悪ですね。
あまり敵に回したくないタイプです。
仲間にして役立つ文章を書いてほしいですね。
それに相対するのが”文章を書きたがらない人”です。
書面やメールとして文章を書かずに、直接口頭で話したり
電話で済ませるタイプです。
今はネットの時代ですからメールでのやりとりは当たり前になっています。
○か×かのような、やるかやらないかのような、簡単な内容なら
口頭でよいですが、日時が関わることや、場所がどこどこ等、
5W1Hに関するような重要な項目は、記録の残る文書やメールで
配布したほうがよいのです。
口頭では”記憶”に残るだけで”記録”には残りませんね。
その記憶は時間が経つと曖昧になるし、間違って記憶した場合には、
スムーズに事が運びません。
日付や時間を間違うと、とんでもないですよね。
文章を書きたがらない人の場合は、メールで送るといっても、
慣れていないため誤字脱字が多かったり、最小限しか文章がないために、
”誰がいつまでに何をすればよいか”、といったことが
はっきりしないものも多いです。
説明不足な文章になりがちです。
ちなみに私は、(こんなブログを書いているくらいですから)前者の
”文章を書きたがる”タイプです。
それほど長文は書かないほうだと思いますが、文章を書いているうちに
”乗ってくる”感覚はあります。
”乗っている”ときは、「文章が踊っているかのようです。」
というのは冗談ですが、このブログも書いているうちに次が展開してくる
というパターンも多いです。
なかなか書き出さない、ということはよくあります。
着手するまでに時間がかかることはよくありますが、一旦書き始めると、
書けば書くほど次が湧き出てきます。
もちろん“乗らない”時もあります。
例えば風邪をひいて体調不良の時や睡眠不足で眠い、などといった場合
にはショボい文章しか書けませんし、筆が進みません。
でもショボい文章でも書いたものは、残しておいたほうがよいです。
後で見た場合に、ここはこう変えたほうがよい、ここにあれを付け足せばよい
というふうに、“別人風に”加筆訂正することも可能だからです。
極力文章は書いたほうがよいです。
書面にして送るとか、メールで送るという文章でもそうです。
電話で済ますとか、直接口頭で伝えるということもよいですが、
それに加えて文章にしてメールで送ることをやれば、確実ですね。
音声+文章なので、伝わり方は2倍でバッチリです。
受けた人は「耳」と「目」から情報が入ってきます。
以前のブログでも書いていますが、自分で文章を書くと
”あれやこれやと自分の頭で考え”ますよね。
これが”頭によい”のです。
頭が回転するようになり、自分の考えが持てるようになります。
そうでないと、自分の考えが定まらないとか、自分で決められない、
自分で考えられない、自分ではわからない、
ということが多くなってしまいます。
私が会社員時代に、大先輩の部長クラスの方から教えていただいたのは、
「ベースとなる書面なしに、打ち合わせや会議をやるな。」でした。
私も経験がありますが、ベースとなる書面がない状態で話し合いをやると、
どんどん話しが本題からそれて行って、やたらと会議の時間が長くなったり、
本来検討すべき内容を検討せずに時間切れというパターンに陥りがちです。
その方は、それを「空中戦」と呼んでいました。
うまい表現だと思います。
ベースになる書面がないので、足が地に着いておらず、つまり
“空中で戦っている”というわけです。
電子ファイルが主流になっていても、メールやPDFファイル、
e-Pubファイルなどで扱うのは文章です。
文章を書くことは必要なのです。
文章を書くことで、頭が回転するようになれば、自分の考えが定まらないとか、
自分で決められない、自分で考えられない、わからない、等がなくなります。
”自分で考えられない”というのは、実は気をつけないと
危ないのです。
”搾取される対象”になってしまうからです。
”搾取”というのは極端かもしれませんが、
”いいように使われる”ということです。
言われたこをそのまま鵜呑みにしてしまうので、極端に言えば
”洗脳するのが簡単”な人ということになってしまいます。
甘い言葉に乗せられて、知らない間にお金を支払わされる
ということにもなりかねません。
例えば”振り込め詐欺”のようなパターンですね。
振り込め詐欺は、被害者はお年寄りが多いですが、
孫からの電話と称して「オレだよオレ。」と言って、問題が起きて
困っているからお金が必要だというわけです。
それを信じてしまって、言われたように銀行口座にお金を
振り込んでしまうという詐欺です。
”いいように使われる”というのも、
詐欺というところまではいきませんが似たようなものです。
”自分の頭で物事を考える”ようになるには、文章を書くのが
いちばん手っ取り早いのです。
拙書「キーワード構築法-らくらく文章作成術-」の紹介ページでも
書きましたが、頭の回転をよくするのは文章を書くことだけではありません。
絵画を描いたり、作曲をしたり、物語を作ったり、発明するなどの
”創造的な(クリエイティブな)活動”こそが重要なのです。
ただし、絵画を描きなさいとか作曲しなさいとか発明をしなさいと言われても、
なかなかできませんよね。
一般的には文章作成が取っつきやすいというわけです。
やっぱり人間は”創造的活動”をやるのが正しいのだろうと思いますね。
それではまた。
久留米工業大学
建築・設備工学科
池鯉鮒
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2014年2月3日月曜日
古代巨石文明の謎
こんにちは、池鯉鮒です。
今回は「古代巨石文明の謎」です。
今までとちょっと毛色が違ってますが・・・。
巨石文明というと、エジプトのピラミッドや、メキシコにあるマヤのピラミッド、イスラエルのバールベック神殿、イギリスのストーンヘンジ、インカの石積みなどがあります。
これらの巨石文明は、遡ってもせいぜい4,000年前(4,000年前でも相当に古いですが)くらいまでです。
ところがトルコのギョベクリ・テペという遺跡は、11,000年前の遺跡だそうです。
以前に世界ふしぎ発見というTV番組で取り上げられていました。
1,994年の発見だそうですが、その割には一般には知られていないようです。
私が知らないだけでしょうかね?
教科書には記載されているのでしょうか。
”超古代”と言っていいような年代の遺跡です。
しかし11,000年前だからと言って、稚拙ではありません。
5トン前後の石を矩形に切り出して円形に配置したストーンサークルのようなものです。
他に20トン程度の石もあるそうです。
そんな巨石ですが、その切り出した面が相当平坦なのです。
またその遺跡からは、人骨が発見されています。
しかもその人骨には彩色が施されていました。
TVでは、いったん埋葬したものを掘り出して骨に彩色したという説明でしたが、
そんな面倒くさいことを考えなくても、火葬にして、残った骨に彩色したのでは
ないかと考えてしまいますが、違うんでしょうかね。
11,000年前は火葬の習慣はなかったのでしょうか。
鉄や農耕がなかった当時、石をどうやって矩形に切り出して、平らに削ったか
という疑問が生じますが、発掘した考古学者によれば、
石器で削ったとのことでした。
石器で岩を削る???
巨石は石灰岩であるため、それより硬い材質で作った石器であれば、
割と簡単に削れるということでした。
レポーターの人が少し削っていましたがほとんど削れず、
「途方もないなあ。」という感想を漏らしていました。
私も途方もないなあと思います。
超古代の人々がいくらヒマだからといって、石で岩を削るという
そんな途方も無いことをやるのでしょうか。
ここで少し”常識をぶち壊して”みましょう。
岩は普通は硬いですが、「岩が柔らかい」としたらどうでしょうか?
「岩が柔らかい?」 と思われるかもしれません。
例えば粘土とまではいかなくても、砂糖の固まりとか砂の固まりとか、
他にはチョークのようなもの、クッキー等のようなイメージです。
そういった柔らかいものなら、石器でも削れますよね。
別な言い方をすれば、「岩が柔らかい状態になったなら、石器でも
簡単に削ることが可能です。」となります。
そうすると、次の疑問がでます。
「岩が柔らかい状態になることがあり得るのか?」ですね。
砂糖の固まりや砂の固まり、チョークやクッキーなどは
水でぬらすと、途端に”柔らかく”かつ”もろく”なります。
では岩の場合、どのようにして柔らかくもろくできるのでしょう。
ギョベクリ・テペの巨石は石灰岩であると言っていました。
石灰岩を柔らかくもろくする方法はあるでしょうか?
特に石灰岩に限って考えると、すぐに思い当たるものがあります。
”酸”です。
理科の実験で石灰石に塩酸などの酸をかけると、ブクブクと泡を吹いて
溶けていきませんでしたか?
酸を使えば、石灰岩であれば柔らかく、もろくすることができそうです。
11,000年前に塩酸や硫酸などはなかったかもしれません。
しかし、レモンやライムのような酸の強い柑橘系の植物はあったのではないでしょうか。
(以外と、塩酸や硫酸等の酸を作ることができていたのかも知れません。)
20トンの巨石を扱うことができる高度な文明を持っていた人々ですから、
酸を利用することぐらい朝飯前だったのかもしれません。
”酸を塗って石灰岩の表面を柔らかくしてから削った” ということですね。
切り出す際にも、切り出したい部分に酸を塗って溝状に削り、
そこ酸を流し込んでさらに削り、という方法で削っていったのではないでしょうか。
もちろん、どこかの段階では割って切り出したのでしょう。
切り出した後に、矩形にして表面を平らに削ればよいわけです。
鉄がなければ、石器で削ったのかもしれません。
表面は柔らかくなっているので、普通の石器でも平らに削れるでしょう。
これは推測の域を出ませんが、可能性としては”あり”と考えています。
どう思いますか?
古代巨石文明についてはまだまだいろいろとありますので、
そのうちにまた古代巨石文明についての話題をUPしたいと思います。
それではまた。
久留米工業大学
建築・設備工学科
池鯉鮒
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今回は「古代巨石文明の謎」です。
今までとちょっと毛色が違ってますが・・・。
巨石文明というと、エジプトのピラミッドや、メキシコにあるマヤのピラミッド、イスラエルのバールベック神殿、イギリスのストーンヘンジ、インカの石積みなどがあります。
これらの巨石文明は、遡ってもせいぜい4,000年前(4,000年前でも相当に古いですが)くらいまでです。
ところがトルコのギョベクリ・テペという遺跡は、11,000年前の遺跡だそうです。
以前に世界ふしぎ発見というTV番組で取り上げられていました。
1,994年の発見だそうですが、その割には一般には知られていないようです。
私が知らないだけでしょうかね?
教科書には記載されているのでしょうか。
”超古代”と言っていいような年代の遺跡です。
しかし11,000年前だからと言って、稚拙ではありません。
5トン前後の石を矩形に切り出して円形に配置したストーンサークルのようなものです。
他に20トン程度の石もあるそうです。
そんな巨石ですが、その切り出した面が相当平坦なのです。
またその遺跡からは、人骨が発見されています。
しかもその人骨には彩色が施されていました。
TVでは、いったん埋葬したものを掘り出して骨に彩色したという説明でしたが、
そんな面倒くさいことを考えなくても、火葬にして、残った骨に彩色したのでは
ないかと考えてしまいますが、違うんでしょうかね。
11,000年前は火葬の習慣はなかったのでしょうか。
鉄や農耕がなかった当時、石をどうやって矩形に切り出して、平らに削ったか
という疑問が生じますが、発掘した考古学者によれば、
石器で削ったとのことでした。
石器で岩を削る???
巨石は石灰岩であるため、それより硬い材質で作った石器であれば、
割と簡単に削れるということでした。
レポーターの人が少し削っていましたがほとんど削れず、
「途方もないなあ。」という感想を漏らしていました。
私も途方もないなあと思います。
超古代の人々がいくらヒマだからといって、石で岩を削るという
そんな途方も無いことをやるのでしょうか。
ここで少し”常識をぶち壊して”みましょう。
岩は普通は硬いですが、「岩が柔らかい」としたらどうでしょうか?
「岩が柔らかい?」 と思われるかもしれません。
例えば粘土とまではいかなくても、砂糖の固まりとか砂の固まりとか、
他にはチョークのようなもの、クッキー等のようなイメージです。
そういった柔らかいものなら、石器でも削れますよね。
別な言い方をすれば、「岩が柔らかい状態になったなら、石器でも
簡単に削ることが可能です。」となります。
そうすると、次の疑問がでます。
「岩が柔らかい状態になることがあり得るのか?」ですね。
砂糖の固まりや砂の固まり、チョークやクッキーなどは
水でぬらすと、途端に”柔らかく”かつ”もろく”なります。
では岩の場合、どのようにして柔らかくもろくできるのでしょう。
ギョベクリ・テペの巨石は石灰岩であると言っていました。
石灰岩を柔らかくもろくする方法はあるでしょうか?
特に石灰岩に限って考えると、すぐに思い当たるものがあります。
”酸”です。
理科の実験で石灰石に塩酸などの酸をかけると、ブクブクと泡を吹いて
溶けていきませんでしたか?
酸を使えば、石灰岩であれば柔らかく、もろくすることができそうです。
11,000年前に塩酸や硫酸などはなかったかもしれません。
しかし、レモンやライムのような酸の強い柑橘系の植物はあったのではないでしょうか。
(以外と、塩酸や硫酸等の酸を作ることができていたのかも知れません。)
20トンの巨石を扱うことができる高度な文明を持っていた人々ですから、
酸を利用することぐらい朝飯前だったのかもしれません。
”酸を塗って石灰岩の表面を柔らかくしてから削った” ということですね。
切り出す際にも、切り出したい部分に酸を塗って溝状に削り、
そこ酸を流し込んでさらに削り、という方法で削っていったのではないでしょうか。
もちろん、どこかの段階では割って切り出したのでしょう。
切り出した後に、矩形にして表面を平らに削ればよいわけです。
鉄がなければ、石器で削ったのかもしれません。
表面は柔らかくなっているので、普通の石器でも平らに削れるでしょう。
これは推測の域を出ませんが、可能性としては”あり”と考えています。
どう思いますか?
古代巨石文明についてはまだまだいろいろとありますので、
そのうちにまた古代巨石文明についての話題をUPしたいと思います。
それではまた。
久留米工業大学
建築・設備工学科
池鯉鮒
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2014年1月9日木曜日
常識をぶち壊せ!
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
久留米工業大学の池鯉鮒です。
新年早々、ちょっと過激なタイトルですみません。
常識をぶち壊せ!です。
さて、あなたは常識をどのように捉えていますか?
常識とは、みんながそう思っていること、当たり前と思っていること、教科書に
書いてあること、新聞やテレビで言っていること、などでしょうか?
「常識でしょ」とか「当たり前でしょ」、「当然でしょ」などとよく使いますよね?
でも本当にそうなのかは、よく考えてみたほうがよいです。
常識と言われていることでも、よく考えてみると意外と違っているなんてこともあります。
”常識”とは辞書を引くと「一般の人が共通して持っているまたは持つべき知識・
理解力・判断力」となっています。
この”常識”がけっこう“くせもの”ですね。
十人十色と言いますが、十人いれば十種類の常識が存在すると考えたほうがよいです。
ですから、「常識ですよ」と言っても、人が違うと認識が全く違ってきたりします。
むしろ、まったく同じ認識という状態のほうが稀です。
その”常識”がない人のことを、”非常識”と言いますね。
非常識な人は社会生活を営む上で、周囲とスムーズなコミュニケーションが取れません。
会社や学校などの組織では、人が集まって行動していますから、周囲とコミュニケーションを取って意見を調整したりする必要が出てきます。
その際に”非常識”ではうまくいきません。
”非常識”を別な言い方で言うと、”常識はずれ”という言い方もあります。
私達が目指すべきは、”はずれ”ではなく、やはり”やぶり”でしょうね。
つまり”常識破り”です。
常識にとらわれることなく、今までにないような行動や思想、技術などを
生み出すことですね。
”常識にとらわれない”なんて結構あこがれますね。
常識はずれが”非常識”なら、常識破りは”破常識(はじょうしき)”になりそうです。
(ちなみにこんな熟語はありませんが・・・。)
「は」と「ひ」があれば、「ふ」もあります。
「ふ」は”普常識”が合いそうです。
普通の常識・・・何だか月並みでつまらなさそうですね。
「普常識」は「腐常識」にも通じそうです。
「へ」に行ってみましょう。
容易に思いつくのは「屁常識」です。
屁のような常識。
なんだかちっぽけですね。
最後の「ほ」に行きましょう。
「ほ」は「捕常識」でしょうね。
まさに常識に捕らわれています。
ちょっと抜け出せそうにない感じです
これで常識の”は行五段活用”ができてしまいました。
「破常識」
「非常識」
「普常識=腐常識」
「屁常識」
「捕常識」
ちょっとおやじギャグになってしまったきらいがありますが、
目指すべきは最上段の「破常識」ですよね。
・常識破り、
・型破り、
・未だかつて無い、
・世界で初めて、
・オンリーワン、
・歴史が始まって以来、
・他に類を見ない、
・驚天動地、
等々似たような表現がありますが、なかなか”魅力的”表現です。
今あなたは、どの段にいますか?
そして、どの段を目指していますか?
「常識をぶち壊す」って、とても魅惑的ですね。
というのも、普通じゃつまらないですから。
そう思いません?
それではまた。
久留米工業大学
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池鯉鮒
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本年もよろしくお願い致します。
久留米工業大学の池鯉鮒です。
新年早々、ちょっと過激なタイトルですみません。
常識をぶち壊せ!です。
さて、あなたは常識をどのように捉えていますか?
常識とは、みんながそう思っていること、当たり前と思っていること、教科書に
書いてあること、新聞やテレビで言っていること、などでしょうか?
「常識でしょ」とか「当たり前でしょ」、「当然でしょ」などとよく使いますよね?
でも本当にそうなのかは、よく考えてみたほうがよいです。
常識と言われていることでも、よく考えてみると意外と違っているなんてこともあります。
”常識”とは辞書を引くと「一般の人が共通して持っているまたは持つべき知識・
理解力・判断力」となっています。
この”常識”がけっこう“くせもの”ですね。
十人十色と言いますが、十人いれば十種類の常識が存在すると考えたほうがよいです。
ですから、「常識ですよ」と言っても、人が違うと認識が全く違ってきたりします。
むしろ、まったく同じ認識という状態のほうが稀です。
その”常識”がない人のことを、”非常識”と言いますね。
非常識な人は社会生活を営む上で、周囲とスムーズなコミュニケーションが取れません。
会社や学校などの組織では、人が集まって行動していますから、周囲とコミュニケーションを取って意見を調整したりする必要が出てきます。
その際に”非常識”ではうまくいきません。
”非常識”を別な言い方で言うと、”常識はずれ”という言い方もあります。
私達が目指すべきは、”はずれ”ではなく、やはり”やぶり”でしょうね。
つまり”常識破り”です。
常識にとらわれることなく、今までにないような行動や思想、技術などを
生み出すことですね。
”常識にとらわれない”なんて結構あこがれますね。
常識はずれが”非常識”なら、常識破りは”破常識(はじょうしき)”になりそうです。
(ちなみにこんな熟語はありませんが・・・。)
「は」と「ひ」があれば、「ふ」もあります。
「ふ」は”普常識”が合いそうです。
普通の常識・・・何だか月並みでつまらなさそうですね。
「普常識」は「腐常識」にも通じそうです。
「へ」に行ってみましょう。
容易に思いつくのは「屁常識」です。
屁のような常識。
なんだかちっぽけですね。
最後の「ほ」に行きましょう。
「ほ」は「捕常識」でしょうね。
まさに常識に捕らわれています。
ちょっと抜け出せそうにない感じです
これで常識の”は行五段活用”ができてしまいました。
「破常識」
「非常識」
「普常識=腐常識」
「屁常識」
「捕常識」
ちょっとおやじギャグになってしまったきらいがありますが、
目指すべきは最上段の「破常識」ですよね。
・常識破り、
・型破り、
・未だかつて無い、
・世界で初めて、
・オンリーワン、
・歴史が始まって以来、
・他に類を見ない、
・驚天動地、
等々似たような表現がありますが、なかなか”魅力的”表現です。
今あなたは、どの段にいますか?
そして、どの段を目指していますか?
「常識をぶち壊す」って、とても魅惑的ですね。
というのも、普通じゃつまらないですから。
そう思いません?
それではまた。
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2013年12月18日水曜日
お金は中間段階的な一形態
こんにちは、池鯉鮒です。
今回は”お金”の話です。
お金と言っても、儲け話ではありません。
お金は”中間段階的な一形態”という内容です。
数値目標のことも少し触れています。
ここで”中間段階的な一形態”という言葉を使っていますが、
”途中の一時的な状態”といったような意味です。
本来のお金の役割ですが、例えば1万円札をイメージしてください。
印刷された1枚の紙です。兌換紙幣と呼ばれています。
つまり、金(ゴールド)と交換できる紙ということです。
考えてみると、お金は物々交換を仲介をする中間段階的な一つの形態ですよね。
ここで"物々交換”と言いましたが、別な言い方をすると
”価値と価値の交換”とも言えます。
もともとは”むかしむかし”の話ですが、狩猟で鹿などの動物を射止めた人がいて、
一方では山で山菜などの植物を採集した人がいて、また他方では海で魚を釣った
人がいる状態を想定してみます。
射止めた鹿の肉、採集した山菜、釣った魚は、それぞれが”価値”です。
物々交換では、鹿の肉と山菜を交換したり、魚と鹿の肉を交換したり、
山菜と魚を交換したりという状況が発生します。
この交換は”等価”という条件で行われます。
例えば鹿の肉と魚と山菜では、その価値が異なります。
同じ1kgの重さで考えた場合、それぞれの価値は違いますよね。
これらの交換すべき物の種類が少ない場合は問題ありませんが、
その種類が増えてくると、等価交換ということが非常に面倒になります。
それで、共通の概念である”お金”が登場します。
”お金”という共通の尺度で、ものの価値を”数値表示”すれば、等価交換は容易です。
同じ金額の物であれば、等価に交換できます。
こうなると物々交換する必要はもうありません。
お金を持ってさえいれば、お金といろいろな物とを交換すればよいからです。
交換すべき物を現場に持っていく必要はありません。
お金を持って行けばよいわけです。
1万円のように高額なものは紙幣が使われますが、
考えようによっては”印刷された紙切れ”ですよね。
お札という紙切れだけでは信用できませんが、兌換紙幣という1万円分の
”金(ゴールド)”と交換できる紙幣、というように決められていて、
それが信用されています。
金(ゴールド)1万円分と等価な”紙切れ”ということで、
いつでも金(ゴールド)と交換できます(できるはずです)。
さてそのお金は、中間段階の一形態ですから、何かの目標物と
交換するためのものです。
あくまで目標があって、そのためにお金が必要になると考えるわけです。
例えばきれいな服を着たいからお金が必要とか、おいしい物を食べたいから
お金が必要、旅行したいからお金が必要、自分の家を持ちたいからお金が必要・・・
のようにです。
本来の目標は、きれいな服を着たい、おいしいものを食べたい、旅行がしたい、
自分の家を持ちたい、ということになりますね。
つまりは”その人が満足を得る”ことが本来の目標ということになりますね。
しかし会社で働いている場合はどうでしょう。
会社の数値目標として、本来”中間段階の一形態”であるお金が
”売り上げ”や”利益”という名称で目標になっています。
これが、どうも違和感があるのです。
中間段階であるお金ではなく、お金の先にある本来の目標があるはずですが、
それが不明確なのです。
普通の会社では「わが社の今年度目標は、売り上げ○○億円、利益△△億円」
のようになっていますが、本来の目標はその先・その向こう側にあるはずですよね。
しかし本来の目標は今年度目標には上がってきません。
それが何年か続くと本来の目標は忘れられて(あるいは本来の目標が意識に
上ることなく)、お金が目標になってしまっていて、社員はそのお金の数値目標に
向かって頑張ります。
しかし誰もそれをおかしいとは思っていません。
おかしいと思わないのがおかしいと私は感じます。
今年度の”本来”の目標は、金額目標(数値目標)の先に何かがあるはずです。
「わが社の今年度の目標は、○○を△△にすることである」というようにです。
さてところで、人間にはその”存在意義”がありますよね。
あなたにも”存在意義”があります。
それは何だと思いますか?
・
・
・
それは”人の役に立つこと”だと思っています。
人の役に立つ人間であれば、人から認めてもらえますよね。
人から求められる人間ということです。
”価値ある人”という言い方もできます。
この人間の存在意義“人の役に立つ”を会社に当てはめて考えてみると、
会社の存在意義は、
”社会の役に立つこと”
になるのだと思います。
”人の役に立つ” と ”社会の役に立つ”は規模が違うだけで、同じことです。
社会は人々によって構成されているので、人々の役に立つことが存在意義であり、
本来の目標と言えます。
その”役に立つ”ですが、どのように役に立つか、その立ちかたは人それぞれ、
会社でもそれぞれなのだと思います。
十人十色という言い方もできます。
その”役に立つ”人は、"役に立って程度”を指標として本来は評価されるべき
なのだと思いますね。
そのような指標は今は存在していませんが、
「ないから金額で評価しているんだ。」という状況になっているのかもしれません。
これに関してはもうちょっとさらなる展開がありますが、また別にアップしたいと思います。
ちょっと尻切れトンボになってしまいましたが、
それではまた。
久留米工業大学
建築・設備工学科
池鯉鮒
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今回は”お金”の話です。
お金と言っても、儲け話ではありません。
お金は”中間段階的な一形態”という内容です。
数値目標のことも少し触れています。
ここで”中間段階的な一形態”という言葉を使っていますが、
”途中の一時的な状態”といったような意味です。
本来のお金の役割ですが、例えば1万円札をイメージしてください。
印刷された1枚の紙です。兌換紙幣と呼ばれています。
つまり、金(ゴールド)と交換できる紙ということです。
考えてみると、お金は物々交換を仲介をする中間段階的な一つの形態ですよね。
ここで"物々交換”と言いましたが、別な言い方をすると
”価値と価値の交換”とも言えます。
もともとは”むかしむかし”の話ですが、狩猟で鹿などの動物を射止めた人がいて、
一方では山で山菜などの植物を採集した人がいて、また他方では海で魚を釣った
人がいる状態を想定してみます。
射止めた鹿の肉、採集した山菜、釣った魚は、それぞれが”価値”です。
物々交換では、鹿の肉と山菜を交換したり、魚と鹿の肉を交換したり、
山菜と魚を交換したりという状況が発生します。
この交換は”等価”という条件で行われます。
例えば鹿の肉と魚と山菜では、その価値が異なります。
同じ1kgの重さで考えた場合、それぞれの価値は違いますよね。
これらの交換すべき物の種類が少ない場合は問題ありませんが、
その種類が増えてくると、等価交換ということが非常に面倒になります。
それで、共通の概念である”お金”が登場します。
”お金”という共通の尺度で、ものの価値を”数値表示”すれば、等価交換は容易です。
同じ金額の物であれば、等価に交換できます。
こうなると物々交換する必要はもうありません。
お金を持ってさえいれば、お金といろいろな物とを交換すればよいからです。
交換すべき物を現場に持っていく必要はありません。
お金を持って行けばよいわけです。
1万円のように高額なものは紙幣が使われますが、
考えようによっては”印刷された紙切れ”ですよね。
お札という紙切れだけでは信用できませんが、兌換紙幣という1万円分の
”金(ゴールド)”と交換できる紙幣、というように決められていて、
それが信用されています。
金(ゴールド)1万円分と等価な”紙切れ”ということで、
いつでも金(ゴールド)と交換できます(できるはずです)。
さてそのお金は、中間段階の一形態ですから、何かの目標物と
交換するためのものです。
あくまで目標があって、そのためにお金が必要になると考えるわけです。
例えばきれいな服を着たいからお金が必要とか、おいしい物を食べたいから
お金が必要、旅行したいからお金が必要、自分の家を持ちたいからお金が必要・・・
のようにです。
本来の目標は、きれいな服を着たい、おいしいものを食べたい、旅行がしたい、
自分の家を持ちたい、ということになりますね。
つまりは”その人が満足を得る”ことが本来の目標ということになりますね。
しかし会社で働いている場合はどうでしょう。
会社の数値目標として、本来”中間段階の一形態”であるお金が
”売り上げ”や”利益”という名称で目標になっています。
これが、どうも違和感があるのです。
中間段階であるお金ではなく、お金の先にある本来の目標があるはずですが、
それが不明確なのです。
普通の会社では「わが社の今年度目標は、売り上げ○○億円、利益△△億円」
のようになっていますが、本来の目標はその先・その向こう側にあるはずですよね。
しかし本来の目標は今年度目標には上がってきません。
それが何年か続くと本来の目標は忘れられて(あるいは本来の目標が意識に
上ることなく)、お金が目標になってしまっていて、社員はそのお金の数値目標に
向かって頑張ります。
しかし誰もそれをおかしいとは思っていません。
おかしいと思わないのがおかしいと私は感じます。
今年度の”本来”の目標は、金額目標(数値目標)の先に何かがあるはずです。
「わが社の今年度の目標は、○○を△△にすることである」というようにです。
さてところで、人間にはその”存在意義”がありますよね。
あなたにも”存在意義”があります。
それは何だと思いますか?
・
・
・
それは”人の役に立つこと”だと思っています。
人の役に立つ人間であれば、人から認めてもらえますよね。
人から求められる人間ということです。
”価値ある人”という言い方もできます。
この人間の存在意義“人の役に立つ”を会社に当てはめて考えてみると、
会社の存在意義は、
”社会の役に立つこと”
になるのだと思います。
”人の役に立つ” と ”社会の役に立つ”は規模が違うだけで、同じことです。
社会は人々によって構成されているので、人々の役に立つことが存在意義であり、
本来の目標と言えます。
その”役に立つ”ですが、どのように役に立つか、その立ちかたは人それぞれ、
会社でもそれぞれなのだと思います。
十人十色という言い方もできます。
その”役に立つ”人は、"役に立って程度”を指標として本来は評価されるべき
なのだと思いますね。
そのような指標は今は存在していませんが、
「ないから金額で評価しているんだ。」という状況になっているのかもしれません。
これに関してはもうちょっとさらなる展開がありますが、また別にアップしたいと思います。
ちょっと尻切れトンボになってしまいましたが、
それではまた。
久留米工業大学
建築・設備工学科
池鯉鮒
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2013年11月18日月曜日
長時間連続使用可能なレーザーポインター
こんにちは、池鯉鮒です。
今回はちょっと趣向を変えて、長時間連続使用可能なレーザーポインターの話です。
私たちはレーザーポインターをよく使用します。
大学の講義や、講習会、学会発表などで説明する場合に、パワーポイントで作成したスライドを、指し示す場合に使っています。
以前は、レーザーポインターと言えば赤色の点を表示するだけの単純なものでしたが、今では点だけでなく、リング状の表示や星印の表示などができるものもあります。
色も赤色だけでなく、緑色、青色、黄色、紫色のものが出ています。
本体の形状では、四角いライター状のようなものやペンタイプのもの、握りやすいエルゴノミクスデザインのものもあります。
その中で四角いライター状のレーザーポインターは、単4電池式で赤色の点表示しかできませんが、3000円くらいで買えるので重宝しています。
さてここで、どのレーザーポインターについても言えることですが、ひとつ問題点があります。
それは、どれも電池式のため長時間の連続使用ができないことです。
よくあるパターンですが、講演会などで使用中にレーザーポインターの表示色が薄くなって見えなくなってしまうということが起こります。
その場合には講演者の人は、「あれ?あれ?どうしたのかな?」といった風で、講演に集中できなくなってしまいますし、しまいには表示が消えてしまって、レーザーポインターなしで講演を進めなければならないという、困った状況も生じます。
新しい電池を入れた別なレーザーポインターを準備している会場もありますが、そうでない場合もあります。
大学の卒業論文発表会などでも、同様な状況がたまに発生します。
それで、電池式ではないレーザーポインターはないかと思って探してみました。
100V電源で駆動するものがあれば、電源コードがつながっているため大きく動き回ることはできませんが、丸一日続くような卒論発表会などでも、電池切れの心配はありません。担当の先生も助かるのではないかと思いました。
調べてみたところ、このレーザーポインターですが電池式のものしかないのです。
レーザーポインターで、100V電源を使用したものはありませんでした。
正しくは「存在し得ない」、別な言い方をすると「製造販売してはいけない」ということなのです。
法律で制限されていることがわかりました。
それで100Vタイプのレーザーポインターは販売されていないわけです。
なければ、自分で作って使ってみようという考えが浮かんできます。
個人的に使うのなら、製造販売していませんから問題はないだろうというわけです。
3VのACアダプタ(あの黒い四角の固まりのようなものに、100Vのコンセントプラグが付いているやつです)があれば、電源として使えます。
余っているACアダプタを使って、電池ボックス部分の電極につなぎ、100Vコンセントから電源を取れるレーザーポインターを作りました。これを卒論発表会の時に学生に使ってもらいました。
学生は卒論の発表で緊張しているため、レーザーポインターが電池切れの心配なく快適に使用できていることなど意識していなかったでしょうが、発表会が終わるまで新品電池を使ったかのような、クリアな表示が続いていました。
自分の講義などでも使っておりましたが、やはりコードがつながっているため少し煩わしさがあるのは否めません。講義の場合は1コマ90分ですから、電池でも十分です。
それで今では充電式のニッケル水素電池を使っています。
講義前にフル充電していれば、快適に使用できます。
ただやはり、半日や1日に及ぶ使用の場合では、100V電源タイプがほしいところですが、必要な場合は今のところ自作するしか手がないようです(自作は個人の責任でお願いします)。
それではまた。
久留米工業大学
建築設備工学科
池鯉鮒 悟
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今回はちょっと趣向を変えて、長時間連続使用可能なレーザーポインターの話です。
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以前は、レーザーポインターと言えば赤色の点を表示するだけの単純なものでしたが、今では点だけでなく、リング状の表示や星印の表示などができるものもあります。
色も赤色だけでなく、緑色、青色、黄色、紫色のものが出ています。
本体の形状では、四角いライター状のようなものやペンタイプのもの、握りやすいエルゴノミクスデザインのものもあります。
その中で四角いライター状のレーザーポインターは、単4電池式で赤色の点表示しかできませんが、3000円くらいで買えるので重宝しています。
さてここで、どのレーザーポインターについても言えることですが、ひとつ問題点があります。
それは、どれも電池式のため長時間の連続使用ができないことです。
よくあるパターンですが、講演会などで使用中にレーザーポインターの表示色が薄くなって見えなくなってしまうということが起こります。
その場合には講演者の人は、「あれ?あれ?どうしたのかな?」といった風で、講演に集中できなくなってしまいますし、しまいには表示が消えてしまって、レーザーポインターなしで講演を進めなければならないという、困った状況も生じます。
新しい電池を入れた別なレーザーポインターを準備している会場もありますが、そうでない場合もあります。
大学の卒業論文発表会などでも、同様な状況がたまに発生します。
それで、電池式ではないレーザーポインターはないかと思って探してみました。
100V電源で駆動するものがあれば、電源コードがつながっているため大きく動き回ることはできませんが、丸一日続くような卒論発表会などでも、電池切れの心配はありません。担当の先生も助かるのではないかと思いました。
調べてみたところ、このレーザーポインターですが電池式のものしかないのです。
レーザーポインターで、100V電源を使用したものはありませんでした。
正しくは「存在し得ない」、別な言い方をすると「製造販売してはいけない」ということなのです。
法律で制限されていることがわかりました。
それで100Vタイプのレーザーポインターは販売されていないわけです。
なければ、自分で作って使ってみようという考えが浮かんできます。
個人的に使うのなら、製造販売していませんから問題はないだろうというわけです。
3VのACアダプタ(あの黒い四角の固まりのようなものに、100Vのコンセントプラグが付いているやつです)があれば、電源として使えます。
余っているACアダプタを使って、電池ボックス部分の電極につなぎ、100Vコンセントから電源を取れるレーザーポインターを作りました。これを卒論発表会の時に学生に使ってもらいました。
学生は卒論の発表で緊張しているため、レーザーポインターが電池切れの心配なく快適に使用できていることなど意識していなかったでしょうが、発表会が終わるまで新品電池を使ったかのような、クリアな表示が続いていました。
自分の講義などでも使っておりましたが、やはりコードがつながっているため少し煩わしさがあるのは否めません。講義の場合は1コマ90分ですから、電池でも十分です。
それで今では充電式のニッケル水素電池を使っています。
講義前にフル充電していれば、快適に使用できます。
ただやはり、半日や1日に及ぶ使用の場合では、100V電源タイプがほしいところですが、必要な場合は今のところ自作するしか手がないようです(自作は個人の責任でお願いします)。
それではまた。
久留米工業大学
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池鯉鮒 悟
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2013年11月1日金曜日
秩序と調和
こんにちは、池鯉鮒です。
1ヶ月ほど空いてしまいましたが、今回は「秩序と調和」です。
「秩序と調和」って、ちょっと硬い抽象的なイメージがありますでしょうか?
何のことを言っているんだと思われるかもしれませんが、少し読み進めていただければ感じてもらえると思います。
「秩序と調和」に対して、割と対極に位置する概念で「自由と平等」というものがあります。
「自由」と「平等」は実のところ、それぞれ相容れない概念だと思います。
例えば個人個人が自由に振舞うと、個人の集まりである集団や組織の中では平等は生まれません。「個人」を「組織」に、「組織」を「国」に広げて考えてみても同じことが言えます。
「自由」は競争原理に通じますので、自然に勝者と敗者が生まれ、そこには格差が発生します。現代の自由主義社会では、簡単に言えば勝者である”富める者”と、敗者である”貧しき者”という二極化のパターンを生み出します。
実際にそうなっていますよね。
機会は平等にあると言われますが、そうでもありません。
例えば病気になって治療を受けようとした場合に、お金を持っている人は十分な治療が受けられますが、そうでない人は受けられません。
例えばアメリカでは、風邪を引いた場合には病院に行かずに、ドラッグストアで風邪薬を買って自力で直すのだそうです。それは日本のような健康保険制度がなく(全くないわけではなく、民間の保険制度はあるそうです)、治療費が高額であるということがその理由です。
風邪くらいの軽い病気ならそれでいいのですが、重大な病気の場合はそうはいきません。自力で直すことはできません。治療のためのお金を準備できない場合には、命に関わる事態に陥ってしまいます。お金がないと、治療の機会も得られず生命の安全もままならないわけです。
「平等」という部分でもう少し付け加えますと、何でも平等にすればよいというわけではありません。
一例として男性と女性という性の違いがあります。一般的には男性と女性では筋力に違いがありますよね。仕事について言えば、物を運搬するような力仕事は女性には向いていないと思います
(と言っても中には弱っちい男性や、逆にパワフルな女性もいますので一概には言えませんが・・・。草食系男子や肉食系女子なんていう言葉も流行りました。)
向き不向きがあるという意味です。
平等ではないから差別であるということではなく、いわゆる「適材適所」ということです。
その適材適所になっている状態は、不平等なのではなく、秩序立っているという言い方ができます。
すべてが平坦ということではなく、凹があって凸もあってという状態です。速いがあって遅いもある、高いがあって低いもある、強いがあって弱いもある、といった状態です。
人それぞれ個性がありますね。以前の「二種類の人々」ブログでも書きましたが、十人十色です。それぞれに違った意見があるわけですから、それを調整するのが当たり前で、いままで調整できてきたし、これからもできるでしょう。
秩序と言えば、2011年3月11日に発生した東日本大震災では多くの尊い人命が失われ、大きな悲しみと混乱に見舞われました。水や食料の配給に、被災した人々がきちんと列を作って並んでいる姿がニュースで放映されました。これが世界に放映されたときに、絶賛されましたよね。日本人はすばらしいと。
それはなぜか。
私たち日本人は「秩序と調和」を機軸とした民族であるからに他なりません。
これは別な見方をすると、「みんながやっているから、他の人がやっているから自分もやる。」といった表現で言われますが、これは周囲とのつながりや全体のまとまりを無意識のうちに意識しているからです(無意識のうちに意識?ちょっと変な表現ですが・・・)。このつながりやまとまりこそが、全体的な調和・ハーモニーということになるわけです。
サラリーマンはよく「うちの会社」という言い方をしますね。
考え方によってはサラリーマンというと、会社と個人が雇用契約をしているだけの関係ですが、その人にとって会社は「うち」なのです。
ですから会社の同僚は「家族」に等しいということもできます。
まあ実際の家族と同じとはいきませんが、同じ会社の仲間という意識はありますね。ですから「うちの会社」と言えるほどに、会社としてのまとまりがあります。社員がその意識を強く持っている会社は、「全社一丸となって・・・」という意識が強く、いろいろなことが発展的に動いていきます。
このような意識が「和」です。
調和の和ですね。「なごみ」とも読みます。まさに「和風」の「和」です。
聖徳太子は(私たちの時代には実在の人物として習いましたが、今の歴史の教科書では実在しなかったということになっているようです)、十七条の憲法で「和をもって貴(とうと)しと成し・・・」と言いました。みんな学校で習いましたね。知らない人はいないくらいに、この部分はよく知られています。聖徳太子のこの教えは、結構意識の奥深くに残っているのではないでしょうか。
「自由と平等」は「エントロピーの増大した結果」を表しているとも言えます。拡散して平坦になった状態です。秩序立っていた状態から秩序がなくなり、高低があって調和していたものが平坦になっている状態といえます。
この状態はどうでしょうか。ここちよい状態と言えるでしょうか?
違うと思います。
やはり、高低があり大小があり、広い狭いがあって、全体に調和している状態がよいのだと思います。のぺっとした平地でない、起伏があって調和している状態です。日本庭園などは、その考え方がわかりやすく具現化されたものだと思いますが、そう感じませんか?
結論ですが、日本人は「秩序と調和」という原理を心の中の軸として持っています。そういった”日本的特質”というか”日本的感性”を生かした、秩序と調和を中心に据えた社会が、これからの理想の社会ではないかと思っています。
グローバルスタンダードといって、何でもかんでも世界の(これは主に欧米のですが)基軸を中心にする必要はないと思います。「秩序と調和」という美しくすばらしい概念を持った日本ですから、それを生かしたほうが、よりよい社会、さらに進んだ社会になると思いませんか?
この「秩序と調和」こそが来るべき未来社会の基軸となるだろうと私は考えています。
昔の日本家屋は鍵なんていうものは付いていませんでした。だからといって泥棒が頻発していたかというとそうではありません。ニューヨーク大停電の際には、スーパーや店舗で窓が壊されて、いたるところで盗みが発生しました。日本で停電が起きた場合、こんな状態になりますか? なりませんよね。
どちらがよりよい社会、より進んだ未来社会と言えるのでしょう。
明らかですね。
話がちょっと飛び飛びになってしまいましたが、
それではまた。
久留米工業大学
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