2013年11月1日金曜日
秩序と調和
こんにちは、池鯉鮒です。
1ヶ月ほど空いてしまいましたが、今回は「秩序と調和」です。
「秩序と調和」って、ちょっと硬い抽象的なイメージがありますでしょうか?
何のことを言っているんだと思われるかもしれませんが、少し読み進めていただければ感じてもらえると思います。
「秩序と調和」に対して、割と対極に位置する概念で「自由と平等」というものがあります。
「自由」と「平等」は実のところ、それぞれ相容れない概念だと思います。
例えば個人個人が自由に振舞うと、個人の集まりである集団や組織の中では平等は生まれません。「個人」を「組織」に、「組織」を「国」に広げて考えてみても同じことが言えます。
「自由」は競争原理に通じますので、自然に勝者と敗者が生まれ、そこには格差が発生します。現代の自由主義社会では、簡単に言えば勝者である”富める者”と、敗者である”貧しき者”という二極化のパターンを生み出します。
実際にそうなっていますよね。
機会は平等にあると言われますが、そうでもありません。
例えば病気になって治療を受けようとした場合に、お金を持っている人は十分な治療が受けられますが、そうでない人は受けられません。
例えばアメリカでは、風邪を引いた場合には病院に行かずに、ドラッグストアで風邪薬を買って自力で直すのだそうです。それは日本のような健康保険制度がなく(全くないわけではなく、民間の保険制度はあるそうです)、治療費が高額であるということがその理由です。
風邪くらいの軽い病気ならそれでいいのですが、重大な病気の場合はそうはいきません。自力で直すことはできません。治療のためのお金を準備できない場合には、命に関わる事態に陥ってしまいます。お金がないと、治療の機会も得られず生命の安全もままならないわけです。
「平等」という部分でもう少し付け加えますと、何でも平等にすればよいというわけではありません。
一例として男性と女性という性の違いがあります。一般的には男性と女性では筋力に違いがありますよね。仕事について言えば、物を運搬するような力仕事は女性には向いていないと思います
(と言っても中には弱っちい男性や、逆にパワフルな女性もいますので一概には言えませんが・・・。草食系男子や肉食系女子なんていう言葉も流行りました。)
向き不向きがあるという意味です。
平等ではないから差別であるということではなく、いわゆる「適材適所」ということです。
その適材適所になっている状態は、不平等なのではなく、秩序立っているという言い方ができます。
すべてが平坦ということではなく、凹があって凸もあってという状態です。速いがあって遅いもある、高いがあって低いもある、強いがあって弱いもある、といった状態です。
人それぞれ個性がありますね。以前の「二種類の人々」ブログでも書きましたが、十人十色です。それぞれに違った意見があるわけですから、それを調整するのが当たり前で、いままで調整できてきたし、これからもできるでしょう。
秩序と言えば、2011年3月11日に発生した東日本大震災では多くの尊い人命が失われ、大きな悲しみと混乱に見舞われました。水や食料の配給に、被災した人々がきちんと列を作って並んでいる姿がニュースで放映されました。これが世界に放映されたときに、絶賛されましたよね。日本人はすばらしいと。
それはなぜか。
私たち日本人は「秩序と調和」を機軸とした民族であるからに他なりません。
これは別な見方をすると、「みんながやっているから、他の人がやっているから自分もやる。」といった表現で言われますが、これは周囲とのつながりや全体のまとまりを無意識のうちに意識しているからです(無意識のうちに意識?ちょっと変な表現ですが・・・)。このつながりやまとまりこそが、全体的な調和・ハーモニーということになるわけです。
サラリーマンはよく「うちの会社」という言い方をしますね。
考え方によってはサラリーマンというと、会社と個人が雇用契約をしているだけの関係ですが、その人にとって会社は「うち」なのです。
ですから会社の同僚は「家族」に等しいということもできます。
まあ実際の家族と同じとはいきませんが、同じ会社の仲間という意識はありますね。ですから「うちの会社」と言えるほどに、会社としてのまとまりがあります。社員がその意識を強く持っている会社は、「全社一丸となって・・・」という意識が強く、いろいろなことが発展的に動いていきます。
このような意識が「和」です。
調和の和ですね。「なごみ」とも読みます。まさに「和風」の「和」です。
聖徳太子は(私たちの時代には実在の人物として習いましたが、今の歴史の教科書では実在しなかったということになっているようです)、十七条の憲法で「和をもって貴(とうと)しと成し・・・」と言いました。みんな学校で習いましたね。知らない人はいないくらいに、この部分はよく知られています。聖徳太子のこの教えは、結構意識の奥深くに残っているのではないでしょうか。
「自由と平等」は「エントロピーの増大した結果」を表しているとも言えます。拡散して平坦になった状態です。秩序立っていた状態から秩序がなくなり、高低があって調和していたものが平坦になっている状態といえます。
この状態はどうでしょうか。ここちよい状態と言えるでしょうか?
違うと思います。
やはり、高低があり大小があり、広い狭いがあって、全体に調和している状態がよいのだと思います。のぺっとした平地でない、起伏があって調和している状態です。日本庭園などは、その考え方がわかりやすく具現化されたものだと思いますが、そう感じませんか?
結論ですが、日本人は「秩序と調和」という原理を心の中の軸として持っています。そういった”日本的特質”というか”日本的感性”を生かした、秩序と調和を中心に据えた社会が、これからの理想の社会ではないかと思っています。
グローバルスタンダードといって、何でもかんでも世界の(これは主に欧米のですが)基軸を中心にする必要はないと思います。「秩序と調和」という美しくすばらしい概念を持った日本ですから、それを生かしたほうが、よりよい社会、さらに進んだ社会になると思いませんか?
この「秩序と調和」こそが来るべき未来社会の基軸となるだろうと私は考えています。
昔の日本家屋は鍵なんていうものは付いていませんでした。だからといって泥棒が頻発していたかというとそうではありません。ニューヨーク大停電の際には、スーパーや店舗で窓が壊されて、いたるところで盗みが発生しました。日本で停電が起きた場合、こんな状態になりますか? なりませんよね。
どちらがよりよい社会、より進んだ未来社会と言えるのでしょう。
明らかですね。
話がちょっと飛び飛びになってしまいましたが、
それではまた。
久留米工業大学
建築・設備工学科
池鯉鮒
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