こんにちは、池鯉鮒です。
今回は「将来の夢」です。
4月になって、
大学にも夢を持って希望に胸を膨らませた
新入生が入ってきました。
新社会人の方も、夢を持って
がんばろうと考えているところではないでしょうか。
小さいときの夢と今の現実が一致しているか
どうかは別ですが、
子供の頃、どんな夢を持っていましたか?
お医者さんになりたいとか、
パイロットになりたい、
電車の運転士になりたい、
野球選手、サッカー選手などのスポーツ選手、
看護士さん、消防士さんになりたいなど
いろいろあったでしょう。
ここでちょっと
考えてみましょう。
今挙げたような”将来の夢”ですが、
全部”職業”なのではないでしょうか?
将来の夢というのは、
職業を答えるものなのでしょうか?
しかも今ある職業から選ぶように
なっていたのでしょうか?
というよりは、
「そう考えるように方向付けられている」
と言ったほうがよさそうです。
ですから、
「将来は何になりたい?」
なんて子供に聞いたりします。
この将来の夢というのは、
”職業に限定”してしまってよいのでしょうか?
何だかこじんまりとした
”小さな人間”が
できあがってしまいませんか?
「大学を卒業したらどこかの会社に就職する」のが
当たり前になっていて、
私たちも就職のお世話をしています。
でも、ふと考えると、
こぢんまりとした人間に育て、
普通に社会の一部になるように
教育しているのではないかという
違和感は常にあります。
「ユダヤ式教育」で書きましたように、
子供が小さい時にはその適正を見て
一点集中で資源を投資して、
才能を開花させたほうがよいようにも思えます。
無理に会社組織に入らなくても、
よいのではないかとも思えます。
例えば、将来の夢が
”会社を作って社長になる”でも、
”世界中を飛び回って活躍する”でも、
”大富豪になる”でも、
よいのだと思います。
その夢があれば、
「そうなるためには、ではどうするか?」
「そうなるためには、いつ何をすればよいか?」
ということがだんだん明確になってきて、
「今やるべきこと」が
見えてくるのだと思います。
その今やるべきことが、
たまたま
「どこかの会社に入って、
何かの職業に就く」
ということはあり得ます。
でもその上位の概念
(例えば、社長になる、海外を飛び回る、
大富豪になる)などがあれば、
会社に入るとか、ある職業に就くということは
その”手段”になります。
そして、その”手段”が”夢”になっているのが
なにか変な感じがするのです。
”パソコンを使えるようになるのが夢です”
と言っているような感じです。
パソコンを使うのは、
文章を書くとか表計算するとか、
画像を処理するなど何かをやるための
”手段”として使うわけです。
パソコンを使うのが目標ではなく、
その先の何かをやることが目標なわけです。
それと同様に、
職業が”夢や目標”になっているのは、
手段が目標になっているようで
何だか違和感を感じるのですが
どう思いますか?
それではまた。
久留米工業大学
建築・設備工学科
池鯉鮒
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